文章が書けない
昔から自分の考えてることとか思いとかを言葉にするのが本当に苦手で、だからこうやってブログを始めても大抵長く続かなくて、何を書くにもいつも痛みを伴うというか、苦しみながらひねり出すように書いています。ツイッターのリプ返すのにも数時間かけてしまうし、大学院で論文を書く時もなんか思考がぼやけるというか、主題を見失ってしまうことが多々あります。だからこの文章はできるだけ雑にアウトプットしてます。いっぱい考えると辛いので。
これについては原因を自分で何となく理解しているつもりで、多分、思考の中に伝えたいことが分散して乱立している、あるいはそもそも伝えたいことなんてない、の2つのうちどれかに毎回必ず分類される気がするんですよね。そもそも思考が苦手というか。こういう自分の弱さを見つめているとき、「自分は本当に馬鹿なんだな」とひどくみじめな気分になります。賢い人って本当に会話をしていても伝えたいことを見失わないから、話を聞いていて本当にわかりやすいんですよね。そういう話し方が僕にはできない。ストーリーを適切に組み立てることができない。辛い。
ところで、現在自分は大学院の修士課程に収まっていまして、論文を書いたり、発表原稿を作ったり、報告書を作ったり、何かと主体性のある内容を伴った文章を書く機会が降りかかってきます。こういう文章を書くのが本当に苦手というか、思考が苦手なせいでそもそもアウトプットする材料の構築に苦しんでいて。
そんな時に、さらっと文章を書けてしまうような人の姿を見ると、(その人がこれまでにしてきたであろう努力から目を背けて)羨ましいな、妬ましいな、と思ってしまいます。
最近は生成AIなんかも出てきて、人間が文章を書くコストを大幅に削ることができるような、そんな時代になってきました。大まかな道筋さえ示してしまえば、文章の細部の表現にいちいち気を使うことなく複数の節から構成された大きな文章をそれっぽく作れるような状況で、それを活用してサクッと済ましてしまう人もいるわけで。そんな人を見ていると、妬みとかなんかそういう負の感情に支配されてまともでいられなくなってしまいます。正直これを身近な人にやられるとガチでイライラする。時間がないとか知らん。もっと苦しめよ、なんで俺だけ。
「俺はこんなに苦しみながら文章をひねり出しているのに、そうやって簡単に済まされてしまうと、何か俺の努力の価値が、結果が毀損された気がする」。被害妄想甚だしいです。カスですこんなん。ごめんなさい。
(他人を貶して気持ちよくなりたいので)非常に棘のある言い方をしますが、「音と画像にだけ著作権が発生すると思っているみなさんw」みたいな人たちのことを羨ましく思っていて。彼らは徒党を組んで、生成AIを使ってコンテンツを生み出す人たちを日夜インターネット上で攻撃しているわけですが、その行動の根底にあるのは結局のところ努力の価値とか技能習得の過程が否定されたような、そんな気分を味わわされたという被害妄想で。どれだけ理論武装(のような何か)をしていようが、結局のところはそういう被害者意識が暴走した人たちだと思ってます。
そういう人たちは「お気持ち」の下で強く結束しています。どれだけ論理が破綻していようが、インターネットにおける音楽とかイラストが何故か過度に神聖視されているおかげで無問題。そういう結束を羨ましいなと思います。彼らは孤独じゃなくていいな、って。
俺だって同じように努力の価値を、成果を生み出すまでの過程を認めてもらいたい。俺の「お気持ち」にも寄り添ってもらいたいのに、なんでこんなにも孤独なんだろう。なんかイライラしてきたな。
誰とも仲良くなれる気がしない。
今日聴いた曲
YOUTHFUL ANGER - きのこ帝国